韓国 釜山 道中記3 「井戸茶碗」 のふるさとを訪ねて

2012.06.25

 前回の釜山行きの時に、井戸茶碗の窯跡、御本茶碗の窯跡を訪ねてきたので、その時の想いを書いてみます。


  名もなき陶工の茶碗
  それは四百年の時を超え
  今なお燦然と光を放っている

 
 秀吉の朝鮮出兵は別名 「茶碗戦争」 とも呼ばれ、現在の茶の湯に深く影響を与えている。
 戦乱の世の「茶の湯者」たちの眼力は驚くほど優れ、祭器として使われていた器を「茶の湯」の茶碗として取り上げた。

 「茶碗の王様」 井戸茶碗もそのひとつである。
 不思議なことは二十一世紀の現在、これほど科学の発達をみても当時の茶碗は作れないという事実だ。
 土、火、釉薬、窯、そして 名もなき陶工の技術、すべてが揃わないと この名碗たちは誕生しえなかったのだ。

 釜山から車で一時間ほど。人里離れた山の中腹、現地の人でも初めてでは わからないであろう田んぼ道を進んでいく。
 そんな 山あいに、井戸茶碗のふるさとはあった。
 
 また不思議であるが井戸茶碗の窯跡は つい三十年前まで発見されなかったのである。
 残念ながら現在の窯跡は見ることができないが、窯跡のすぐ下にいる陶芸家方のお宅へお邪魔して、窯から発掘された茶碗や陶片を拝見させていただいた。
 
 そこには部屋中に井戸、三島、刷毛目、等で埋め尽くされていた。一歩足を踏み入れた瞬間から魅力いっぱいの空間が広がっていた。
 その中でも目を引くのは、もちろん井戸だ。そこいら中に井戸、井戸、井戸。高台や陶片とはいえ、こんな多くの井戸を一度に見るのは初めてで、胸踊り拝見した。
 そうこうしていると、その陶芸家の方が特に お気に入りの物を裏から出していただいて、特別に拝見させていただいた。
 とにかく、それがまた凄くいい。
出てくる言葉は「これいいよ」「これすげえ」「これもいいねえ」こんな言葉の連発・・・
 時間を忘れて食い入るように拝見した。最後には 井戸の馬上杯 が現れてボルテージは最高潮に。我々 美術商ならずとも茶碗に興味のある者なら至福の時が過ぎていった。

 まあまあ一服ということで番茶を頂戴する。 この茶碗がまた 粉引、刷毛目と魅力たっぷりの茶碗たち。高まる気持ちで番茶をいただくが、こちらも商売人。
「この茶碗 分けてもらえるのかな?」友人と小声で相談する始末。
 
 心の中で あと一週間居てもいい。との気持ちにさせられたが、その強い想いを押し殺し 熊川 の港へ向かったのだった。
 熊川の港では、四百年の前、ここから遠き日本まで荷物が運ばれたのかと、思いを馳せたのも束の間、陶芸家の方にお昼をご馳走になったのだが・・・
 いきなり焼酎で乾杯。見慣れない刺身をいただくが・・・ 通訳してもらったら ボラ 。さすがにボラの刺身は初めて食べた。 注がれるままに飲むが さすがに昼間の焼酎は効く。前日の深酒も手伝って なかなか食が進まず・・・ どうして食べないんだ、と陶芸家の方に促されるものの なかなか・・・
 ならばと焼酎をあおる。 やっと ボラ が下げられ やれやれ と思ったが なんと残った ボラ くんたちが辛い赤いものに 和えられ再登場! あったかい、ご飯も運ばれた。こうなったら食べるしかない。焼酎と港の生水で ボラくん を流す。流す。。。

 その夜は ホテルの部屋から一歩も出れなかった・・・
 参鶏湯(サムゲタン)を食べ損ねた小生 ボラくん と 生水 で 旅行史上、最大のピンチで生涯忘れ得ぬ一夜となった。


 しかし もっと残念なことがある。 結局 私は 粉引 の茶碗を東京へ持ち帰った。
 しかし、友人に もっと魅力たっぷりな 物を取られてしまったのだ。 ぶち割れた 井戸の盃だ。
 友人は傷だらけのその盃を 蒔絵で修復して、先日 私に見せてくれた。

 姿を取り戻したその盃は、蒔絵の輝き以上に光輝いていた。
なぜこの盃が我が手元にないのか・・・ 残念でたまらなく悔しく思い出すだけで夜も眠れないのである。
 
  逃した 魚 は ボラよりも大きい・・・

 
   熊川(こもがい)の 港に光る井戸茶碗
   大魚 逃がしや ボラの一声     
          
              宗超


追善茶会

2012.06.22

6月2日 指物師 井川信斎氏の三回忌 追善茶会が練馬 廣徳寺に於いて行われた。

 96歳のご長寿でお亡くなりになられた井川さんは人間国宝の方が「あなたには負ける」と言わしめるほどの腕前を持った方だった。
 「俺は職人だから そんなものいらないんだよ」とおっしゃっていたお姿を 今も思い出されます。 
 

 井川さんの造る 箱や棚は どれも素晴らしく、桐箱の蓋は スーッと身に吸い込まれていくし、桑 黒柿 など堅木で作った 水指棚は本当に素敵で 透かしや デザイン など全てご自分で考えられ、茶室の中の空気を引き締め 凛とした 存在感で お客様を魅了する。
 茶席で棚を拝見した方々は 流儀、男女を問わず 皆 井川さんの作品を絶賛されます。

 井川さんの御宅へ仕事で伺うと本当に いろいろな事を勉強させていただきました。 木のことや作り方はもちろん、指物師のことや、茶杓のこと、お茶や道具のこと・・・
 なかでも 道具屋さんの昔の お話は大変 勉強になりましたし、とても貴重なお話を聞かせていただきました。
 また 戦時中お世話になっていた三井さんの道具をリヤカーに乗せて疎開させたお話も とても印象に残っています。

 本当にさまざまな貴重なお話の数々は今の私の財産になっています。

 井川さんは お茶やお茶会が本当にお好きだったと思います。ご高齢になられてからも、お茶会には東京はもちろん京都までお一人でお出かけになられていました。
 そしてどのお茶会でも決して裏口入学はされず、いつもちゃんと並ばれて席入りされていました。
 
 
 さて 新緑の廣徳寺は雨の心配もなく、四席の釜が掛かりました。
 私は 御子息様の 二代目 信斎さんのお席をお手伝いさせていただきました。二代目 信斎さんも私がこの世界に入ってからずっとお世話になりっぱなしの方です。お茶も同門で稽古後の食事(お酒)は もう20年以上も続いている大先輩です。
 茶席では、お客様はそれぞれ 井川さんの思い出を語っていただいて、とても 賑やかに笑い声の耐えない席となりました。

 床には 楽 の一字で 小書きで和歌が書かれています。

 極楽を いずくの程と思いしに ただ現在の楽ぞ極楽

 *極楽とは何処にあってどれくらいの距離にあるのか。そんなことを思い巡らせてみても、わかるはずもない。 ただ現在の楽しみこそが極楽なのである。

 そして お花 がまた良かったのです。古銅の鶴首には 枯れ蓮 と蓮の華が入り この枯れ蓮は 井川さんが亡くなられた時に 御家元より頂いた蓮の華を御子息さんが枯らしてドライフラワーにしたものでした。

 掛物と花の良い取合せで ゆったりとした時が流れて、お茶会も無事に終えることができ井川さんも きっと喜ばれているに違いないと思いました。
 私はこの日、 井川さんから頂戴した着物と帯を締めてお手伝いをさせていただきました。

 13歳で富山から東京に修行に来られ ずっと仕事一筋だった井川さん。本当に多くのことを学ばせていただきましたこと、感謝申し上げます。

 私がまだ若かった頃から 御宅へお邪魔すると、いつもいつも笑顔で迎えていただき、お抹茶をご馳走になり、奥様や御子息様を交えての楽しい時間は、私にとって忘れ得ぬ時間でした。
 
 井川さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

            合掌


韓国  釜山 道中記

2012.06.19

 6月の初め 韓国 釜山 へ旅してきました。

 釜山で初めて開催される 「アートフェアー釜山」 を見にと、骨董、道具を求める旅でした。

 時間が有効に使えるということもあり今回は 羽田から福岡まわりでの釜山入りとなりました。

 もう十分に夏の匂いのする釜山は半袖で過ごせて扇子が必要で海からの風はほのかに塩の香りが漂っていました。
  
 早速 骨董屋 めぐりです。 目についた物は値段を聞くが・・・
 なかなか・・・ いい値段過ぎますねぇ。
 日本語のわかるお店の方だと会話になるのですが、こちらも韓国語がわからないので 日本語の通じない方だと 身振り手振り 時には 漢字を書いたりと、必死に意思疎通をはかりました。 
 
 興味のある品物があったので こちらも 「カッカ ジョセヨ!」 「安くして~」 と必死。 電卓 片手に値段交渉です。 「ウォン?」「エン?」 意思疎通のできない二人に友人も呆れ顔でしたが、必死の私の説得にも敵もさることながら、なかなか顎を下ろしません。
 ああだ こうだ と因縁?を付けては電卓を見せますが、敵は顔を縦に振りません。          結局最後は私の根気に負けたのか 私の言い値に近い値段で譲り受けました。
 
 帰り際に日本語で 「掘り出しよ~」 と言う店主に 「最初から カッカ ジョセヨ!」 と ひと唸り してホテルへ戻りました。

 早速 部屋に帰って 産湯に浸けてみました。 この瞬間が たまらなく楽しみなんです。 どんな 顔に変わっていくのか・・・
 
 その顔は後でゆっくり拝むとして、胸踊らせながら 「サムギョプサル」 を求め街へ繰り出したのでした。
 
  宗超


韓国 釜山 道中記 2

2012.06.6

 骨董屋での格闘を終えて街へ。

 そんな後だとビールも旨い。 
韓国では定番の「サムギョプサル」を食べに。
 テレビでは不思議と日本のプロ野球 オリックス戦が放映されている。 韓国のスター  イ・デホ がいるからか。
 
 豚肉を韓国ビールで流す。 サムギョプサルも さることながらチャプチェが絶品だ。 その後は焼酎に切り替える。
 韓国で思うことはサムギョプサルのタレはゴマ油の塩タレなのだ。最初はいいがさすがに飽きる。
 そこで小生 今回も日本より 焼肉のタレ を持参し食す。 う~ん
うまい。 
 もう一つ。 韓国では 日本の ワサビ が重宝する。 韓国のワサビは味も悪く、色も黄緑色でいただけない。 小生ワサビも持参した。
 前回の釜山行きで運転手をしてくれた韓国人の方と昼食を共にした時に 日本のワサビを、えらく気に入って絶賛してくれた。 日本では どこででも手に入るチューブのものなのだが・・・
 
 これから韓国へ旅される方は ワサビ 持参で行くと きっと喜ばれること間違いなしですよ(笑)

 ホテルでは 産湯に浸った茶碗が待っていてくれた。
 
 なかなか いい顔 になってきた。
 
     宗超