光琳 の燕子花の余韻も醒めぬまま 根津美術館 二階へと向かった。
一番奥の展示室では 季節の 茶道具の取り合わせ が展示されていた。
その中に 魅力ある茶杓 が一本 横たわっていた。
茶杓・・・・
茶道具で 茶入、茶器の中の抹茶をすくって茶碗に移す匙で 竹 材がほとんどで、他に象牙、木地、塗物がある。
お茶に関わったことのない方が見れば、単なる 竹っぺら の耳かき にしか見えないであろう(笑)
ところが この 竹っぺら なかなか奥が深い。
いつの頃からだろうか・・・
この 竹っぺら に魅力を感じ始めたのは・・・
私も 茶道にたずさわって二十年以上の歳月が流れたわけだが、 耳かき が好きになるまでには、かなりの時間がかかった。
この茶杓 の銘は 五月雨
作者は 小堀遠州
江戸時代初期の武将で 三代将軍 家光の茶道指南役である。
利休から見れば 孫弟子、 へうげもの の古田織部の弟子である。
この 茶杓 の筒にはこんな洒落た 和歌 が書いてある。
星ひとつ 見つけたる夜のうれしさは 月にもまさる 五月雨のそら
イカしてません?
しかもこの 茶杓 には 節から切止(茶杓の末端)へ降りていった左側に 一ミリ くらいの虫食い(虫が食って丸く穴があいている)がある。 遠州はこの虫食いを 星に見立てたのだ。
茶杓 の虫食いを先に見つけても 筒の 和歌を先に詠んでも どちらが先でも まったく洒落ている。
私を 茶杓の美 の魅力へ誘ってくれたのは、 小堀遠州 の茶杓たちだ。
遠州の茶杓は 竹 そのものの景色から選び抜かれていて、杓の半分が白竹、半分が濃い茶色に色替わりしたものや、節から上は煤竹、下は白竹になっているものや、また、竹のソゲている部分を使ったものなど、本当に綺麗な景色に富んでいて、それまで茶杓とゆう道具になかった 芸術性を生み出し脇役になりかねない この 竹っペラ を 主役の一人として迎え入れたのである。
そして この 茶杓の美 は 杓だけでは完成しない。
筒だ。 筒は 茶杓の美 の最大の魅力の ひとつだ。
筒に書かれた 歌銘 の 美。 これなくしては 遠州 の茶杓は語れない。
藤原定家 の定家様の字体で書かれた和歌。この定家様は まさに芸術だ。 真似しようと思ってもできるものではない。その定家様で書かれた和歌がこんな イカした 歌なら尚更 魅力倍増で 五月雨 の前を 行ったり来たり・・・
なぜだか胸が締め付けられる思いで 往復していた。
小堀遠州 は今でいえば建設大臣で数々の城を造り 素晴らしい 庭園を手がけ、茶道具も 中国や韓国、そして オランダへと注文を出して作らせている。
遠州の茶道は 「綺麗さび」 と言って称されるが、私はこの「綺麗さび」の象徴は 茶杓 である。と強く思っている。
畳の目 十二目・・・・
茶杓の長さだ。 この わずか 十二目 の中に 遠州 は自分自身の宇宙を取り入れた。
五月雨のそら は 宇宙(そら) かもしれない。
茶杓 それは 杓、筒、箱 これらが揃って 魅力を増大し、間違いなく お茶 の主役のひとり である。
また 茶杓を見るのが楽しくなりそうだ。
宗超
100年ぶりに再会した 群青と緑青
新緑の 根津美術館 「korin」 展へ行ってきました。
やはり最大の見所は100年ぶりに再会した二つの屏風 尾形光琳 根津美術館蔵 「燕子花 屏風」 と メトロポリタン美術館蔵 「八橋図 屏風」 です。
海を隔てた両屏風たちは、昨年の震災の影響で一年 遅れの再会を果たした。
並べられた二組の屏風。どちらも燕子花(かきつばた)が描かれている。根津さんの燕子花は何度も拝見したことはあるが、今回の二組を同時に拝見できる機会は、もうめぐって来ないとゆう思いで心して見入った。
改めて、燕子花の色使いは群青と録青のみだ。濃淡はあるが、この二色だけでこの大胆な作品を構成していることに、改めて驚かされる。二組の最大の相違点は根津さんの屏風は燕子花のみが描かれ、メトロポリタンの屏風は八橋図が屏風中央に、たらしこみの手法を用いて描かれていることだ。
制作時期は根津さんが光琳40歳代、その10数年後、メトロポリタンの屏風は描かれている。
このメトロポリタンの八橋は明らかに六曲一双の屏風としての構成を意識して描かれていて十年の時を越えての光琳のこの屏風たちへの熱い思い入れと、どこにこの八橋を飛び込ませようかとした光琳の苦悩が感じられる。
屏風の前を何度も歩いてみた。カキツバタの花がほとんど開いていることに気ずく。
別に花が開いていても不思議でもなんでもない。しかし、我々が普段お茶の世界で接している燕子花は水盤の中で蕾の状態で、開いた花との調和をとっていることが多いのではないか。
そんな思いでいたら、燕子花ってそこに一輪あっただけで 美 を感じるか?との思いにかられた。椿のように一輪の花だけであの存在感を表すことができるのか・・・
余計な思いを抱いて 庭園へ降りて行った。新緑を抜けて弘仁亭へ。その前の池には眩しいほどに輝く燕子花が群生していた。そのほとんどは花が咲いていて紫と緑に光る燕子花は素直に美しく圧巻の存在感を示していた。
美術館の屏風の前へ戻る。
不思議に違ったように見えてくる屏風たち。
この二作品を観て どちらが好きか?と自分に問うて見たところ、最初は断然 八橋を折り込んだ メトロポリタンであったが、庭から戻ったいま、何故だかそれは逆になっている。
橋を描いたメトロは屏風としての構図をしっかりと確立され、花たちの配列も計算されて描かれているように思える。
しかし 庭から帰った今見ると、その計算され尽くした構図が何故だか大胆さをやや失い、こじんまりと 見えてくる。
一方の 根津さんは熱い思いそのままに、一心不乱に、ただ燕子花そのものの持つ存在感、力強さ、咲き乱れる美しさ、を思いっきり金屏風の上に書きなぐっていて、決して写真では見ることのできない岩絵具の群青と録青の厚みが、圧迫感を与え、咲き乱れる杜若の力強い生命力を観る側に表現しているのである。
もっと見ていれば 根津さんの 右雙が好きでメトロの左雙が好き。メトロの右雙のこの花が好き。なんて想いが湧いてくるかもしれない・・・
光琳 の描いた 300年前に想いを馳せてみた・・・ でもきっと 燕子花 は 今も 昔も 変わらない花を咲かせているんだな・・・
今日は特に 美に対する感受性が豊かだった日のようで、 混雑する美術館の中でも 集中して拝見できたし、とても和やかな気持ちでいる自分にも驚きを感じつつ、美術館二階へと足を向けた。
こんな日も いいかもしれない。
明日も 根津さんに 行ってみようかな。
宗超