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韓国 釜山 道中記 6  2012-08-03

 広安里 で食べたい物があった。
前回も行けずにいたので、今回はしっかり予定に組み込んだ。

 「オニャンプルコギ」 は牛肉をタレに漬け込ん焼く 焼き肉 といった感じ。
 
 ホテルの ベルボーイに taxi の運転手に店の場所を伝えてもらう。
 「この店 知ってる?」とベルの若手に聞く。
 「シッテイマス  ユウメイデス」
 「あなたは 行ったことある?」
「ナイデス」 「なんで?」 「タカイデス」

 1人前 2000円 くらい。 確かに若者にとっては 少々高めか・・・

 taxi で広安里まで20分。 まだ 夕方早い時間とゆうのに 店内 満席。 しかも 二階に どんどんお客さんが上がっていく。
 日本人は 我々だけか・・・

 早速 韓国ビールを注文。 お目当ての オニャンプルコギも頼む。 野菜と肉が運ばれる。今日は 通訳さんがいないので 黙っていると、店の お母さん たちが こうやって焼くんだよ~ と焼いてくれる。
 言葉が通じない者同士のコミニュケーションは実に楽しい。 骨董屋 や 革屋 の意思疎通のできないオレではなく、そこにはおニャンプルコギをはさんでの楽しい会話がある。 お互い 母国語 だが・・
ビールの大瓶を追加。
 旨い。 タレもいい。 やっぱり肉はタレだよな。などと話しながら ビールで流す。
飲み物 追加の意志を お母さんに・・ また ビール? いや 焼酎に変える。の意思表示をして 氷をもらう。 
 しかし こちらは ビールや焼酎の アルコールが安い・・ 日本の半分くらいだ。
  
 お隣さんの 鍋 が気になって 「あれが 食べたい」 とお母さんに 注文。「辛さは 控えめに」 と言ったが 通じているかどうか…
 すき焼き鍋 のようでこれも美味。

 大満足で お会計。 やはり こちらは飲み物が安いんだな。と実感し 海雲台へ taxi を飛ばす。

 しかし 以前行った カラオケ屋さんで飲んだ 焼酎・・・
 けっこうな お会計だったが、次の日 その焼酎を コンビニで 発見・・・ 値段を 円計算したら・・・  なんと 100円!!!
 100円 ですよ。 そんなんあり?  みなさん C1 には 気おつけよ~(笑)

 今回も コムタン、冷麺、サムギョプサル、と食すが、 お初は デジクッパプ。  豚骨ベースのクッパで 焼豚は 別盛を注文。 これはイケます。
 ロッテホテルから すぐの所に デジクッパプ通りがあって、各店舗が呼び込みして 鎬(しのぎ)を削っています。
 オススメです。



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韓国 釜山 道中記 5  2012-07-19

 今回の旅のもう一つの目的は 革製品を買うことだ。
 お目当ては 皮ジャン。
もともと 革は好きなのだが、韓国は革製品が 値打ちで買えるとあって、国際市場の革製品屋さんを あらかじめ調べて釜山へ。

 早々 市場の一角に 目当てのお店を発見。 中へ。
 結構な品揃え。種類も 沢山・・ めぼしい 品を見ていると 店主 登場。 かなりの日本語力。それだけで日本のお客さんが多いと想像できる。
 どんどん試着を すすめてくる店主。 しかし どれにも 値札は付いていない。
 SHOTT のライダースが目に入ったので試着はせずに値段を聞いてみる・・   確実に日本より安い。

 気にいった 皮ジャンを何点か絞込み 値段を聞く・・
 「✖万円ね」
ここで 登場・・ 小生 日本より持参した この店の商品 50% off のホームページのコピーを見せる。 やや 慌てる 店主に
 「✖万円の半額だから ✖万でいいんでしょ?」と 小生。
 「いま 言ったネダン 50%off になっての 値段よ~」 と声がでっかくなる店主。
 やはり・・ そうきましたか・・
 「じゃあ こんなコピー意味ないじゃん」 と声をでかく 小生。
 「〇×△*”&+・・・zzz」 解読不可能で小声の 店主。
 またまた押し問答が始まる・・・

「何店か 日本から調べてきて、いま国際市場ついて 初めてこの店に 来んだよ~」 オジさんの顔写真入りのホームページを突きつける。
 「それは ウレシいけど そんなに マケれないよ~」
 「他の店も見ずに ここで買おうって 言ってるんじゃない! カッカジョセヨ!」  またまた・・ 出ました カッカ攻撃・・
 かなり 店主も ヒートアップ。テンションも上がり 声の音量 三倍増! ・・・(恐)
 
しかし そんなんで ひるんでは いけません。
 こちらで 値切り合戦を繰り広げたら 声の音量で負けたら 絶対にいけない。

 なかなか 敵も しぶとい・・で・・
 皮ジャンは ひとまずおいて、コートを見に・・・  コートに気を引きつかせ 再度 攻撃開始を企むことに・・
う~む・・  カッコイイ スエードのコートを発見してしまう・・ スエードで襟はノーマル革のロングコート・・・  一目惚れ してしまったことを店主に悟られないよう なにげに試着・・  なにげに 「いくら?」
 「✖万円ネ」 やはりロングだと それなりにするなあ・・

 ほこ先を変えて 再度 攻撃開始。
 「この二点 買うからさ~ カッカして」
 二点 と聞いた店主・・だが  カッカ率・・・ 低し・・(寂)

 しかし 粘り強い交渉は 骨董屋 で経験済み。 軽いジョークを交えながら 店主のオジさんのハートをつかんで だんだんと ほぐしていく。
 「日本に帰ったら このお店 みんなに宣伝するよ~」 「そうだ 一緒に写真 撮ろう~」

 「オモシロイ お兄さんネ~ メズラシイ ヒトヨ~ コンナヒト。 ワカタヨ カッカ スルヨ」
 こちらの 言い値に近ずけて 交渉成立・・ のはずが・・・

 「じゃあ カードで」って言ったら
 「カードはダメヨ 現金よ~!」
またまた波乱勃発。
 「カードなら これよ~」 と20%上乗せの値段提示に小生も ひと唸りするが これは どうしても無理 とのこと・・・

 財布の ウォンを、かき集めるがコート代しかなく 明日 皮ジャンは取りに来るよ。 と コートを持ち帰った。

 ホテルの部屋のハンガーにコートを掛けて ニンマリ・・・

 熱い夜は終わった・・・

 しかし・・・   翌日の 国際市場 で事件勃発となることとは この時は まだ 知るよしもない・・・・



   人だかり 怒声飛びかう 市場角
   皮ジャン片手に 足立ちすくむ


 皆さん 冬に 誘って下さい。
 苦労の コートを着て 登場いたします。

    宗超

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韓国 釜山 道中記 4  2012-07-18

「アートフェアー釜山」は釜山から30分の海辺の町、海雲台(ヘウンデ)だったので二日目からホテルを海雲台に切り替えた。
 最近は若者に人気のエリアで高層ビルも多く東京でいえば お台場といった感じか。
 砂浜も綺麗で真夏は海水浴の若者、家族連れで大賑わいだそうだ。

 海沿いのホテルへチェックイン。街中の喧騒から離れ 久しぶりに見る大海原、心がホッとする。一服ついて目の前のビーチへ。
 この日は韓国の祝日で、海で泳ぐ者は少ないがビーチは大勢の人で賑わっていた。 
 屋台では水槽が並び ホタテ 魚 など魚介がぎっしり。 トッポギを缶ビールで流しながら、カジノがあるパラダイスホテルまで海辺を散歩。

 韓国に来ると毎回思うが、若者たちが デカい。 男も女もだ。
 男の子は ガ体がいい。徴兵制で鍛え上げられているからか。 でも みんな決まってテレビで見かける韓流アイドルの髪型を真似ていて、それが なかなか楽しい。
 女の子は 日本と最大の違いは髪の毛をほとんど染めていないこと。 もうひとつは 眉毛だ。 日本の若者のように 細く手入れをしている子は少ない。 小生が若かった25年前の日本の感じか・・  
 そこいらじゅうに KARA が歩いていると思ってはいけないのだ。
 
 こちらの方々は 皆 声が大きく 最初は 喧嘩でもしてるのかと思うほどの威圧感がある感じだが、聞き慣れると そのトーンも心地良いものになってくる。
 釜山の人が言うには 釜山はソウルと違い 気質が強い と言う。 港町であり、東京よりも大阪って感じだと聞かされた。

 私が初めて釜山を訪れたのは WBC(ワールドベースボールクラシック)真っ只中、しかも 滞在中に 日本 対 韓国 戦が行われる時期。 こちらの野球熱が 熱いのも知っているので少々ビビっていたが、ちょうど 通度寺 行きの昼時で入った食事処では当然 日韓戦の野球中継が。 小生も 大の 野球ファン。 一喜一憂するが やや控えめに・・・

 さて アートフェアー釜山 は BEXICO の大ホール。 VIPカードを手に入れていたので一般開場時間より前に会場へ。
 日本から知り合いの お店が三店 出店しているので、早々訪ねてみる。 各店舗 アルバイトの通訳さんを雇っているので 小生がブースを覗いていると、韓国語で説明を受ける。 なかなか切り出すタイミングが合わず ひとしきり説明の区切りがついたところで 日本人なんです。と打ち明けると 通訳さんもビックリ。 それはすみませんでした。 と日本語で返ってくる。 ほとんどのお店で これのくり返し。
 国際市場では さんざん 「海苔あるよ~」 「ニセ物ブランド~」 「お兄さん~」 と日本語の嵐なのだが・・・

 さて アートフェアーは ほとんどがコンテンポラリーアートで自分の分野の品物はない。 
 この広い 会場で この品物たちを買うのは 本当に ピンときて気に入るか、作者の説明で気に入るか・・・
 自分の知っているビックネームならまだしも、これから売り出す新人にとっては 我々 美術商 の売り込みと 魅力あるプレゼンが必要だと感じた。
 一般開場時間になるが アートフェアー東京 のような大混雑にはなっていない。  

 東京に帰ってきた友人たちに 成果を聞いてみるが、なかなか苦戦した模様であった。

 今夜は お目当ての 広安里 へ。














 

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韓国 釜山 道中記3 「井戸茶碗」 のふるさとを訪ねて  2012-06-25

 前回の釜山行きの時に、井戸茶碗の窯跡、御本茶碗の窯跡を訪ねてきたので、その時の想いを書いてみます。


  名もなき陶工の茶碗
  それは四百年の時を超え
  今なお燦然と光を放っている

 
 秀吉の朝鮮出兵は別名 「茶碗戦争」 とも呼ばれ、現在の茶の湯に深く影響を与えている。
 戦乱の世の「茶の湯者」たちの眼力は驚くほど優れ、祭器として使われていた器を「茶の湯」の茶碗として取り上げた。

 「茶碗の王様」 井戸茶碗もそのひとつである。
 不思議なことは二十一世紀の現在、これほど科学の発達をみても当時の茶碗は作れないという事実だ。
 土、火、釉薬、窯、そして 名もなき陶工の技術、すべてが揃わないと この名碗たちは誕生しえなかったのだ。

 釜山から車で一時間ほど。人里離れた山の中腹、現地の人でも初めてでは わからないであろう田んぼ道を進んでいく。
 そんな 山あいに、井戸茶碗のふるさとはあった。
 
 また不思議であるが井戸茶碗の窯跡は つい三十年前まで発見されなかったのである。
 残念ながら現在の窯跡は見ることができないが、窯跡のすぐ下にいる陶芸家方のお宅へお邪魔して、窯から発掘された茶碗や陶片を拝見させていただいた。
 
 そこには部屋中に井戸、三島、刷毛目、等で埋め尽くされていた。一歩足を踏み入れた瞬間から魅力いっぱいの空間が広がっていた。
 その中でも目を引くのは、もちろん井戸だ。そこいら中に井戸、井戸、井戸。高台や陶片とはいえ、こんな多くの井戸を一度に見るのは初めてで、胸踊り拝見した。
 そうこうしていると、その陶芸家の方が特に お気に入りの物を裏から出していただいて、特別に拝見させていただいた。
 とにかく、それがまた凄くいい。
出てくる言葉は「これいいよ」「これすげえ」「これもいいねえ」こんな言葉の連発・・・
 時間を忘れて食い入るように拝見した。最後には 井戸の馬上杯 が現れてボルテージは最高潮に。我々 美術商ならずとも茶碗に興味のある者なら至福の時が過ぎていった。

 まあまあ一服ということで番茶を頂戴する。 この茶碗がまた 粉引、刷毛目と魅力たっぷりの茶碗たち。高まる気持ちで番茶をいただくが、こちらも商売人。
「この茶碗 分けてもらえるのかな?」友人と小声で相談する始末。
 
 心の中で あと一週間居てもいい。との気持ちにさせられたが、その強い想いを押し殺し 熊川 の港へ向かったのだった。
 熊川の港では、四百年の前、ここから遠き日本まで荷物が運ばれたのかと、思いを馳せたのも束の間、陶芸家の方にお昼をご馳走になったのだが・・・
 いきなり焼酎で乾杯。見慣れない刺身をいただくが・・・ 通訳してもらったら ボラ 。さすがにボラの刺身は初めて食べた。 注がれるままに飲むが さすがに昼間の焼酎は効く。前日の深酒も手伝って なかなか食が進まず・・・ どうして食べないんだ、と陶芸家の方に促されるものの なかなか・・・
 ならばと焼酎をあおる。 やっと ボラ が下げられ やれやれ と思ったが なんと残った ボラ くんたちが辛い赤いものに 和えられ再登場! あったかい、ご飯も運ばれた。こうなったら食べるしかない。焼酎と港の生水で ボラくん を流す。流す。。。

 その夜は ホテルの部屋から一歩も出れなかった・・・
 参鶏湯(サムゲタン)を食べ損ねた小生 ボラくん と 生水 で 旅行史上、最大のピンチで生涯忘れ得ぬ一夜となった。


 しかし もっと残念なことがある。 結局 私は 粉引 の茶碗を東京へ持ち帰った。
 しかし、友人に もっと魅力たっぷりな 物を取られてしまったのだ。 ぶち割れた 井戸の盃だ。
 友人は傷だらけのその盃を 蒔絵で修復して、先日 私に見せてくれた。

 姿を取り戻したその盃は、蒔絵の輝き以上に光輝いていた。
なぜこの盃が我が手元にないのか・・・ 残念でたまらなく悔しく思い出すだけで夜も眠れないのである。
 
  逃した 魚 は ボラよりも大きい・・・

 
   熊川(こもがい)の 港に光る井戸茶碗
   大魚 逃がしや ボラの一声     
          
              宗超










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追善茶会  2012-06-22

 6月2日 指物師 井川信斎氏の三回忌 追善茶会が練馬 廣徳寺に於いて行われた。

 96歳のご長寿でお亡くなりになられた井川さんは人間国宝の方が「あなたには負ける」と言わしめるほどの腕前を持った方だった。
 「俺は職人だから そんなものいらないんだよ」とおっしゃっていたお姿を 今も思い出されます。 
 

 井川さんの造る 箱や棚は どれも素晴らしく、桐箱の蓋は スーッと身に吸い込まれていくし、桑 黒柿 など堅木で作った 水指棚は本当に素敵で 透かしや デザイン など全てご自分で考えられ、茶室の中の空気を引き締め 凛とした 存在感で お客様を魅了する。
 茶席で棚を拝見した方々は 流儀、男女を問わず 皆 井川さんの作品を絶賛されます。

 井川さんの御宅へ仕事で伺うと本当に いろいろな事を勉強させていただきました。 木のことや作り方はもちろん、指物師のことや、茶杓のこと、お茶や道具のこと・・・
 なかでも 道具屋さんの昔の お話は大変 勉強になりましたし、とても貴重なお話を聞かせていただきました。
 また 戦時中お世話になっていた三井さんの道具をリヤカーに乗せて疎開させたお話も とても印象に残っています。

 本当にさまざまな貴重なお話の数々は今の私の財産になっています。

 井川さんは お茶やお茶会が本当にお好きだったと思います。ご高齢になられてからも、お茶会には東京はもちろん京都までお一人でお出かけになられていました。
 そしてどのお茶会でも決して裏口入学はされず、いつもちゃんと並ばれて席入りされていました。
 
 
 さて 新緑の廣徳寺は雨の心配もなく、四席の釜が掛かりました。
 私は 御子息様の 二代目 信斎さんのお席をお手伝いさせていただきました。二代目 信斎さんも私がこの世界に入ってからずっとお世話になりっぱなしの方です。お茶も同門で稽古後の食事(お酒)は もう20年以上も続いている大先輩です。
 茶席では、お客様はそれぞれ 井川さんの思い出を語っていただいて、とても 賑やかに笑い声の耐えない席となりました。

 床には 楽 の一字で 小書きで和歌が書かれています。

 極楽を いずくの程と思いしに ただ現在の楽ぞ極楽

 *極楽とは何処にあってどれくらいの距離にあるのか。そんなことを思い巡らせてみても、わかるはずもない。 ただ現在の楽しみこそが極楽なのである。

 そして お花 がまた良かったのです。古銅の鶴首には 枯れ蓮 と蓮の華が入り この枯れ蓮は 井川さんが亡くなられた時に 御家元より頂いた蓮の華を御子息さんが枯らしてドライフラワーにしたものでした。

 掛物と花の良い取合せで ゆったりとした時が流れて、お茶会も無事に終えることができ井川さんも きっと喜ばれているに違いないと思いました。
 私はこの日、 井川さんから頂戴した着物と帯を締めてお手伝いをさせていただきました。

 13歳で富山から東京に修行に来られ ずっと仕事一筋だった井川さん。本当に多くのことを学ばせていただきましたこと、感謝申し上げます。

 私がまだ若かった頃から 御宅へお邪魔すると、いつもいつも笑顔で迎えていただき、お抹茶をご馳走になり、奥様や御子息様を交えての楽しい時間は、私にとって忘れ得ぬ時間でした。
 
 井川さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

            合掌















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東京都公安委員会許可 第301088300153号